自分らしく君らしく

発達障害の息子を持つADHD母の奮闘記!

発達障害の得意・不得意 【前編】

発達障害の得意・不得意

 

こんにちは!るうです。

 

私の過去のことを書こうと思っていたのですが、Twitterで気になるバズりツイートを拝見したので……『発達障害の得意・不得意』

 

について書こうと思います!

 

Twitterで見かけたツイートは、『発達障害を言い訳にする人がキライ!』

 

おおおぅ……なかなか強い感じですね!

 

こちらのツイートには続きがあって、要約すると

発達障害の人を雇っている。彼女は面接の時に、「細かい指示をくれれば動ける」など自分から要望を伝えてきた。結果、問題なく働けている』

このような感じのことが書いてありました。

 

なるほど。

 

そう、確かに発達障害の人は「1回で覚えろ」とか「なんとなくこんな感じで」とか、「言われたこと以上のことをしろ」「臨機応変に」みたいなのがとっても苦手なんですよね。

 

その方は『自分の得意・不得意』を理解して、『こう工夫したら出来る!』を相手に伝えたわけです。

 

それが出来る彼女も素敵だし、それを前提で雇う会社も素敵ですね。

 

●得意・不得意を把握するのにめちゃ時間かかる●

 

そのツイートに、こういうコメントをしている人がいました。

 

『自分の得意なやり方に出会うまでに、色んな困難がありすぎる』(うろ覚えだけどそんな感じ)

 

うっわぁぁああ!めっちゃ分かるぅうう!

 

そうなんですよ!まさにそれなんです!!!!

 

さらにそこにツッコんでる方もいて、「それって発達障害ない人も同じやん」(みたいな感じ)

 

また他の方が登場して、「定型発達の人もそうかもしれませんが、発達障害の人は困難の数が多いんですよ」(みたいな感じ)

 

あぁぁ……論争になってる!!!!

 

ってことでなんかモヤモヤしたので、『自分の得意なやり方に出会うまでに、色んな困難がありすぎる』の自体験について語ってみることにしました!

 

●私が自分の得意・不得意を把握するまで①●

★自分が出来ていると思い込んでいた小・中学校時代★

まず、学生時代の話に遡りたいと思います。

 

小学校の頃、私は自分が周りと同じように出来ていると思い込んでいました。これは本当に人によるので、同じADHDでも幼少期から『どうせ僕は出来ないから……』みたいなタイプもいるんですよね!

 

私はどっちかというと感覚が鈍いタイプなので、「整理整頓が苦手って書かれてるけど(通知表)、なんでだろう?エンピツの向きとか揃ってるじゃん?(←こだわり)」とか思っていた……笑

 

小学生のころって、勉強or運動どっちかが出来れば割とどうにかなるんですよね。興味があること=勉強だったから、なんとなく他のことも出来ていると思っていたのかも。

 

その思い込みは、中学校卒業まで続きます。

 
★自分が人より出来ないことが多いと知った、高校生時代★

私が『自分が人より出来ないことが多い!』とうっすら把握したのは高校生になってからでした。こうふり返ると、随分と遅い気がします。

 

きっかけは、美術の時間のこと。高校って芸術科目は選択だから、美術を選択してる子って結構絵が上手いんですよね。

 

当時は漫画家を目指して投稿とかもしてたので、絵は毎日描いていました。毎日4~5時間は描いてたんじゃないかな?と思うほど描き込み、徹夜をすることもしばしばありました。

 

なので、絵は得意!と思っていたのです。

 

ところが美術の時間、周りの絵のレベルの高さに驚きました。さらにその頃、授業中に先生の似顔絵を描くのがクラスのブームで!←こらこら!

 

美術選択じゃない人も私より絵が上手い!!!!!

 

ここまでは、まあ定型発達の人でもありそうですよね。私のようなのんびりタイプなら特に!

 

しかしこの時私はまだ、『私は身の周りのことも出来ていない』と把握していなかったのでした。

 

★男子にからかわれるも、自覚なし★

 

そんな高校生だった私は、一部のやんちゃ系男子に「変な人」とからかわれていました。

 

「変わった子」でも友達が多く、男子とも普通に仲が良い。いじめられたこともなかったので、特に気にしていませんでした。普通に男の子とお付き合いすることもあったし、自分は『ただの天然ドジ』だと思っていたのです。

 

※注※↑これは私が田舎でのんびり育ったからで、本当に運が良い方です。発達障害の人はここでつまずきがち。本当に恵まれています。

 

当時の私はいつも制服がヨレヨレで、シワだらけでした。もちろん自覚がないので、先生や親にそう言われていたという記憶です。

 

中学・高校は制服がセーラー服だったので、毎日リボンを結んでいました。毎回上手く結べずほどけるので、大抵世話焼きの友達が結び直してくれていました。6年間ほぼ毎日着ていたのに、結局正しい結び方を覚えることはありませんでした!

 

((余談ですが、リボン結びの結び方を間違えて覚えていると知ったのは最近です……。娘が幼稚園で覚えてきたのを見て知った……。))

 

髪はいつもボサボサで、同じ学校の妹が「お姉ちゃんもっとちゃんとして!」と梳いてくれていました。学校でも友達が髪を手入れしてくれ……。洋服のセンスも皆無ですが、「変な服装で出歩くな」と姉や妹がコーディネイトしてくれていました……。

 

それなのに私は変な自覚すらなし、世話を焼いてくれている自覚すらありませんでした。

 

ちょっと長くなったので、後編に続きます!

 

はじめに

はじめに

発達障害についてのブログを開設したので、はじめに綴っておきたいことをつらつらと書いておきます。

 

このブログは、『ADHD母』&『ADHD+自閉度強めの長男(小2)』のことを綴ったブログです。

 

……のんびり&こだわりの多いADHD母。転職を繰り返し、現在はフリーランスのライター。強迫性障害とも長い付き合い。

長男・タロ(8歳)……動きが活発&こだわりの多いADHD+自閉度強めの小学生。パソコンが得意。

……1つ年上なパパ。

長女(6歳)……おとなしめの真ん中っ子。

次男(2歳)……敏感な末っ子。

 

主に『私の幼少期~大人までのADHD経験』『ADHDの頭の中』『発達障害の子どもの子育て』について綴っていきたいと思います!

 

さいころから『宇宙人』だった私

小さい頃から他人とズレていた私は、32歳でADHDと診断されました。

 

幼稚園ではお遊戯に参加せず脱走。ひどく不器用で、ひとりだけ工作も作れず。

かと思えば暗記が得意で、地図帳は丸ごと覚えていた小学校時代。

中学校になっても制服はヨレヨレで、リボンに給食のカレーを付けていた女子力低めの女子……。

 

そんな私が大人になり、母になったのは25になる年のことでした。

生まれた息子はかんしゃくがひどく、動きが激しいので疲労困憊!

試行錯誤に右往左往の毎日……。

 

時は経ち、長男・タロにADHD+自閉度強めとの診断がおりたのは小学校2年生の秋でした。

 

この子たちは幼い頃の自分だ~我が子が発達障害と分かって~

タロが2年生になってからは、発達障害の子を持つ保護者向け講習会などに参加しました。そして発達障害の子どもについて学んだとき……

 

「この子たちは幼い頃の自分だ!!」

 

と思ったのです。

 

そして同時に、交流したお母さんたち(ご本人は特に発達障害なし)の生の声を聞き……

 

「本当に発達障害なのか疑問だった」

「我が子なのに謎すぎる!」

「講習を受ける前は甘えじゃないかと思っていた」

ADHDの薬って飲んだらどんな感じなんだろう」

 

そう、「この子たちは幼い頃の自分だ!!」なんて思ったのは自分だけだったのです。

私は、なんとなく彼らの気持ちが分かる。(※人によって「問題とされる行動」に至る理由は異なるのですが)

服薬も体験している。

 

私にしか、伝えられないことがある。

 

そう思ったのが、このブログを作ったきっかけです。

 

ネットにあふれている『発達障害を持つ人』の想い

 

私に発達障害があると分かってから、SNSなどでたくさん検索しました。

 

ADHD発達障害発達障害児 育児・発達障害児 親子などなど……。

 

そこにあふれていたのは、

 

発達障害を持つ子の理解に悩む親御さんの気持ちや、

発達障害を持つ若者の、親に対する恨みでした。

 

どちらの気持ちも、なんとなく分かる私。

我が子のため、私のためだけでなく、読んだ人の心が少しラクになれるような

そんなふうに、ブログを綴っていきたいと思ったのでした。

 

ここから!

堅苦しいのは最初だけにして、これからはちょっと柔らかい表現で書いていけたらな~と思っています!

 

前置きが長すぎましたが、続けられるよう頑張ります。